井の頭弁財天周辺の石造物
井の頭公園の歴史(41)弁天堂の境内やその周辺には江戸の人たちから寄進された石造物が多く見られます。これらは、江戸時代に神田上水の水源でもあったこの地が弁天信仰の対象であったことに由来します。
弁天堂正面にある太鼓橋と呼ばれる朱塗りの石橋には風呂屋の団体名「一番組湯屋講中」と彫られています。また、石橋の手前両側にある石灯籠には「日本橋」と彫られているほか、現鰹節屋にんべんの屋号である伊勢屋伊兵衛を始め、当時の鰹節問屋や乾物屋だった丸屋彦右衛門、丸屋治郎兵衛、遠州屋助三郎など計7人の名前が見られます。
![太鼓橋](./blog/article/20220930_sekizobutsu/figure/20220805100917.jpg)
![太鼓橋手前の石灯籠](./blog/article/20220930_sekizobutsu/figure/20220805100912.jpg)
そして、その向かいには当時の参道入口から通じる階段があり、その基石には「両国」と彫られています。さらに、階段を登った先の大盛寺の門前には紫灯籠と呼ばれる石灯籠があり、周辺で栽培されていた紫草による江戸紫の染物で生計を立てていた職人や商人の名前が地名と共に彫られています。
![大盛寺に続く石階段](./blog/article/20220930_sekizobutsu/figure/20220805100907.jpg)
![紫灯籠](./blog/article/20220930_sekizobutsu/figure/20220805100923.jpg)
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