玉川上水

井の頭公園の歴史(41)

玉川上水は、井の頭公園内を御殿山地区と西園地区とを分断するように流れています。

江戸時代初期、井の頭池を水源とする神田上水が江戸の生活用水として整備されていましたが、さらなる人口増加に対応するため、玉川上水が多摩川の羽村取水堰から四谷大木戸(現新宿御苑の先)まで43kmにわたって開削されました。標高差わずか92mで正確な測量技術が必要だった上に難工事でした。

後に名字を与えられた江戸の町人、玉川兄弟が工事を請け負いましたが、途中で資金が不足しても私財を投じながら、1653(承応2)年、4代将軍家綱の時代にわずか8か月で工事が完成しました。四谷大木戸から先は水道管で町中に配水されました。

水源が少ない武蔵野台地を流れる玉川上水は30ほどに分水されて利用されました。現在でも上流は上水として利用されており、下流域も清流が復活しています。開渠部分の約30kmは国の史跡にも指定されています。

玉川上水
玉川上水
万助橋
吉祥寺通りの玉川上水に架かる万助橋
玉川上水の分水跡
公園内でも玉川上水の分水跡が確認できる
Posted by あか井の

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