神田上水

井の頭公園の歴史(41)

神田川は、井の頭池を水源として隅田川に合流するまで25kmにわたって都内を横断するように流れています。

江戸時代の初期には、江戸城や町内の飲用水、生活用水となる神田上水として利用されました。関口大洗堰(現文京区)で取水し、白堀や水戸藩上屋敷(現小石川後楽園)の敷地内を経て、懸樋(現在の水道橋の下流)により神田川を越えていました。その後、木樋や石樋といった水道管で町内各所に設けた上水井戸まで配水されました。

江戸時代初期、3代将軍家光の頃に完成した神田上水は、江戸最古の上水といえますが、江戸時代を通じて、さらに1901(明治34)年に浄水場が完成するまで給水されていました。

江戸時代以前に平川と言っていた神田川の下流域は、洪水対策や江戸城の外濠整備のために、神田山を掘り割りして付け替えられ、現在の神田川下流の流れになりました。また、当時の平川下流の一部は現在の日本橋川になっています。

井の頭池の水門橋
池尻の水門橋、ここが神田川の起点になる
神田川の石碑
神田川の石碑
ここから都内を25kmにわたって横断し、隅田川に合流する
Posted by あか井の

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